To be or not to be….

To be or not to be….を訳した人はきっと相当考えて「生きるべきか、死ぬべきか」という意訳を出したのだと思う。

しかし…

シェイクスピアがこの「be」という言葉にどこまで含みを持たせた言葉なのかを考えると、実は生死というものだけではない気がする。何者かになること、復讐をする自分になること、何かすること、などなど、様々な意味合いとして取れるものだ。そのコンテクスト全体を想像して、このセリフというものが選ばれているのだと思う。

ハムレットは孤独に一人で考えた。

何か自分の前に困難が立ちはだかったとき、立ち止まってみる。進むべきか、退くべきか。その判断は単純なようでいて、思っている以上に複雑だ。勢いだけで乗り越えられる壁もあるし、同じように見えて、近づけば確実に自分を削ってしまう壁もある。

多少の無理は、むしろ必要なのかもしれない。そこに成長のきっかけがあることも知っている。ただ、身体や心が悲鳴をあげるほどの無理は、どこかで線を引かなければならない。その「どこまでなら大丈夫か」を見極めることが、一番厄介だ。自分のことなのに、自分が一番わからない。

気がつけば、いつの間にか他人の基準で物事を測っている。「ここまでやるべきだ」「これくらいできて当然だ」などなど、そんな見えない声に背中を押されて、「〇〇のために頑張らないといけない」と自分に言い聞かせている。その積み重ねが、静かに自己犠牲を生んでいく。気づいたときには、やめる理由よりも、やめられない理由のほうが多くなっている。

この負のスパイラルから抜け出すには、きっと大きな決断よりも、小さな視点のずらしが必要なのだと思う。固定観念を疑うこと。「こうあるべきだ」と思い込んでいる前提を、一度脇に置いてみること。ほんの少し距離をとって、自分を俯瞰してみるだけで、景色は変わる。

進むことだけが正解ではない。退くことも、選び直すことも、立派な意思だ。誰かの期待ではなく、自分の輪郭に沿って選び取った道なら、それは遠回りに見えても、きっと無駄にはならない。

だから無理をするかどうかではなく、「自分が納得しているかどうか」を問い直していきたい。どこまで進むか、どこで立ち止まるか。その判断を他人に委ねないこと。それだけで、この絡みつくような感覚から、少しずつ抜け出せる気がしている。

そんなことを漠然と、先日の映画「ハムネット」を見てから考えていた。

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