京都へ足を運び、京都市京セラ美術館で開催されている 森山大道 の写真展を観てきた。
正直に言えば、森山大道についてそこまで詳しかったわけではない。名前を聞いたことがある程度で、「有名な写真家」というぼんやりした認識しかなかった。だからこそ、今回の展示はかなり衝撃的だった。
会場に入った瞬間から、写真の圧力に飲み込まれる。
何を撮っても、とにかくかっこいい。
犬も、人も、雑踏も、看板も、夜の街も。特別なものを撮っているというより、むしろ日常のどこにでもある景色ばかりなのに、その一枚一枚が異様な存在感を放っている。ざらつき、ブレ、強いコントラスト。その荒々しさが、逆に写真を生々しくしていた。
今のようにデジタルカメラで何枚も撮って確認できる時代ではない。フィルムカメラで、限られた枚数の中からあれだけ強烈な写真を生み出していたことに驚かされた。
しかも、ただ技術が高いというだけではない。
「世の中を見つめる視線」そのものが写っている気がするのだ。街を歩きながら、何かに惹かれ、反応し、シャッターを切る。その衝動の強さが、そのまま写真になっているようだった。
森山大道の作品は、整っているわけではない。むしろノイズだらけで、不安定で、時には怖さすらある。それなのに美しい。
そこまで知らなかったからこそ、余計に衝撃を受けたのだと思う。
有名だから評価されているのではなく、実際に作品を前にすると、凄さを体感で分かってしまう。そんな体験だった。
京都まで行ってよかった。写真という表現の持つ力を、改めて思い知らされた時間だった。
自分がやっている演劇だけを見つめていても、見える景色には限界があるのだと思う。本を読み、映画を観て、コンサートへ行き、美術館で作品に触れる。自分とは違うジャンルの表現に出会うたびに、少しずつ視野が広がっていく。
きっと、教養というものは、知識の量だけではなく、自分の外側にある世界へどれだけ触れ続けられるかということなのだろう。
世の中には、まだ知らない表現や価値観が無数に存在している。そして、それをインプットするチャンスもまた、きっと無限にあるのだと思う。
