どうやら僕は、そのサイクルに合わせるように心やエネルギーが動いている気がする。新月と満月には必ず行う小さなルーティンがある。それを何年も続けてきたせいなのか、それとも本当に月の満ち欠けが人に何かしらの影響を与えているのか、その答えはわからない。
僕は、自分をスピリチュアルな人間だと思ったことは一度もない。何かを盲信することもなければ、こうすれば運が良くなると誰かに勧めることもない。
それでも、理屈だけでは説明のつかない感覚は確かにある。
人生の節目で偶然とは思えない巡り合わせがあったり、何か大きな決断をするとき、不思議と背中を押されるような感覚があったりする。そんな瞬間に出会うたび、人間の力だけでは測れない、大きな流れのようなものは存在するのではないかと思う。
それは宇宙なのか、自然なのか、それとも神様なのか。
正直、何でもいい。ただ、自分より遥かに大きな存在に、生かされているという感覚だけは、昔からどこかにある。
だから神社へ足を運ぶことが多い。
願い事をする場所でもあり、心を整えに行く場所でもある。
考えてみれば、幼い頃は神社が遊び場だった。境内を走り回り、石段を駆け上がり、鬼ごっこやかくれんぼをして、今思えば随分と失礼なこともしていた気がする。それでも神社は、何も言わずにそこにあり続けてくれた。
あの静かな空気や、楠の香り、木々を抜ける風の音、鳥居をくぐるときの少し澄んだ感覚は、きっと子どもの頃から身体に染みついているのだろう。
大人になった今では、神社へ行くたびに手を合わせ、自分自身と向き合う時間になっている。
願うことよりも、感謝することが増えた。
もうすぐ新月。
また静かに心をリセットし、新しい一か月を迎える準備をしようと思う。
月は何も語らない。
それでも、その静かな光は、忙しさの中で忘れそうになる、自分の歩幅を、そっと思い出させてくれる気がしている。
