今日はなんか色々と考えさせられる1日だった。
自分が演劇を続けてきた理由とは何なのだろうか。
そして、演劇をやる“資格”とは何なのだろうか。
演劇をやっていると、ふと疑問に思う瞬間がある。
「私なんかに、演劇をやる資格があるのだろうか?」
「もっと表現力がある人、もっとセンスがある人がやるべきなんじゃないか?」
「こんなことで何か伝えられているのだろうか?」
舞台に立てば立つほど、その問いは消えるどころか、むしろ重くなる。経験を積めば積むほど、演劇という行為の尊さと難しさに気づかされる。
それでも私は、続けている。
なぜか?
理由はたくさんあるようで、実はとても単純かもしれない。
誰かと心を交わせること。
誰かの人生を一瞬でも背負えること。
言葉にできない思いを、身体と言葉で伝えられること。
そして、自分自身を確かめられること。
それが、私にとっての「演劇」だった。
では、「資格」ってなんだろう。
専門の訓練を受けているか?
台詞を覚えるのが早いか?
演出意図をすぐに理解できるか?
舞台映えする顔か?
客を呼べるか?
…きっと、どれも違うようで正解かもしれない。
しかし、演劇にはっきりとした資格があるとしたら、それは
「自分の言葉で、他者と出会いたいと願う気持ち」
「表現することに誠実であろうとする姿勢」
その2つなのではないかと思う。
どれだけ不器用でも、どれだけ遠回りでも、
そこに「まっすぐでありたい」という意志があれば、
演劇をやる資格は、誰の中にもある。
今日は、そんなことを深く考えさせられた。
そして、私はまた、台本を開くのだろう。
答えの出ない問いを抱えながら。
けれど、それでいいのだと思う。
問い続けること自体が、私にとっての演劇なのかもしれないから。