最近は、誰かに頼ったり、公共交通機関に乗ったりする時間が増えた。
そのせいか、これまでのように“自分のペース”だけでは物事が進まない。待つ時間も、乗り継ぎの時間も、思い通りにはいかない時間もある。けれど、その分だけ、前もって動く習慣がついてきた。そして不思議なことに、その準備の時間が、心のゆとりを生み始めている。
どれだけ私は、これまで“自分時間”の中だけで動いていたのか。
そう気づくと少しおかしくなる。運転しなくていい移動時間は、最初こそ落ち着かなかったが、いまでは資料に目を通したり、ぼんやり外を眺めたり、思考を整える大切な時間になっている。
都会では、こうした移動の感覚はきっと当たり前なのだろう。
けれど、田舎はどうしても車社会だ。車がなければどこへも行けないし、自分時間で動ける分、自由さと引き換えに、慌ただしさを抱えていたのかもしれない。
そして、自分の荷物だけならまだ楽なのだが、演劇をしていると、そうもいかない。衣装に道具など、ひとつひとつは軽くても、まとまると小さな引っ越しのようになってしまう。車に積んでしまえば一瞬だが、公共交通機関での移動となると、「どう運ぶか」という段取りから頭を使う。
それでも、こうして誰かに助けてもらいながら移動する日々は、悪くないと思えてきた。
不便さの中に、人の気配がある。
ゆっくり進む電車の揺れが、生活に別のリズムを与えてくれる。
自分ひとりで完結できると思っていたことが、実は多くの支えの中で成り立っている。
そう気づけるだけで、少し肩の力が抜ける。
自分時間だけでは見えなかった風景が、ようやく見え始めてきた気がする。
