「書く」ということ

「書きたいものがなくなってから書くものがいいものになる」――吉田修一さんの対談記事で読んだこの言葉が、頭から離れない。書きたい衝動のままに書くのではなく、むしろ何もなくなったところから生まれる文章にこそ力があるというのは、なんと不思議で、そして大胆な考え方だろう。さすが「国宝」を書いた小説家だ、と改めて思う。

映画を観たあと、上下巻の小説を手に取った。映画ももちろん素晴らしかったが、小説には映画では描かれなかった伏線や奥深いストーリーがあり、読み進めるほどに引き込まれていく。登場人物たちの迷い、葛藤、そして小さな希望の瞬間まで、すべてが生きている。

僕も日常の中で、「書きたいこと」があるうちはどうしてもそれに引っ張られがちだ。けれど、何も浮かばない瞬間、無理に手を動かさず、ただ自分の感覚や周囲の世界を観察していると、不意に言葉が降ってくることがある。その瞬間は、映画のラストシーンを観たあとの余韻に浸る感覚のように、静かで、でも胸に刺さる衝撃がある。そんなことが頻繁にあるわけではないけれど、確かに訪れる瞬間の鮮烈さは、何にも代えがたい。

僕が書くものは、毎日のブログや論文、時折の脚本や歌詞。ジャンルは違えど、言葉が不思議な力で湧き上がってくる瞬間は、胸の奥が温かくなるような幸福感を伴う。書きたいものがない、その空白の時間を受け入れ、静かに待つこと。そうやって生まれる文章は、ただ情報を伝えるだけでなく、自分の心の奥底に響くものになる。それこそが書くことの醍醐味であり、日々の小さな奇跡のように感じられる瞬間と言えるのかもしれない。

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