どう聴くか

最近、こんな言葉を目にした。

「教養がない人は、何を言ったかではなく、誰が言ったかで判断する。」

確かに「誰が語るか」という要素は無視できない。だが、肩書きや名前にとらわれてしまえば、その中身をきちんと受け取る視点を失ってしまうだろう。大切なのは、先入観を脇に置き、言葉そのものに耳を澄ませることだと思う。

英語には「hear」と「listen」という二つの動詞がある。「hear」はただ耳に音が入ってくることを指し、「listen」は意識を向け、理解しようと努める行為を意味する。日本語にも同じような区別があり、「聞く」と「聴く」という言葉が存在する。「聞く」は単に耳に入れること、「聴く」は心を傾けて受け止めることだ。

つまり、私たちに求められているのは「聞く」や「hear」にとどまる態度ではなく、「聴く」や「listen」の姿勢なのだ。相手の言葉を丁寧に受け止めようとする関心と敬意こそが、教養の表れなのだと思う。

では、教養とは何だろうか。私はそれを「物事の表層に惑わされず、本質を見抜こうとする力」だと考える。つまり、名前や肩書きに左右されるのではなく、言葉の中身に向き合い、相手の意図を汲み取ろうとする姿勢こそが教養の土台になるのだ。

結局のところ、教養とは「知識の量」ではなく、「どう聴くか」によって磨かれていくものなのだろう。

私自身への自戒でもある。

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