次の世代へ、時代へ

今年度中に解決しないといけない課題を見つけた。これを実行するには、まさに革命を起こすぐらいのことをやらなくてはならない。それを音頭をとることを誰ができるかというと、実は自分しかない。無論、仲間の力を借りることになる。簡単なことではないが、この苦しさを乗り越えた後のことを考えて、やらねればならない。

アメリカンインディアンの人たちは7代先の人たちのことを考えたそうだ。

自分はそこまではできなくても、次の世代のことは考えることができる。そこが明らかに欠けている人とは何かをこれから末永くやっていくことはできない。自分のためだけだとか、自己満足でやっている人には共感できない。興味ももたない。例えば財産である土地をたくさん持って富を築いた人がいたとしよう。それを相続するのに億単位の相続税がかかったとき、受け継いだ人は果たして払えるだろうか。そんなことも考えず、自分だけがよかったらいいと動き続けぱったりある日突然亡くなったとしよう。本当に後が大変になる。今だけのことを考えて頑張っているだけではなく、次のことを考える。もしくは、潔く今やっていることを自分ができなくなる前に終わらせるかのどちらかにしなくてはならないだろう。

「自分のために生きること」と「誰かのために生きること」はどちらも大切であることは前提だとし、きっとバランスも必要なのだろうが、私はやはり「誰かのために生きること」を優先してしまうのだと思う。そんな生き様に疑問があるわけではない。

色々と先行きが不透明な日々が続いている。一つだけわかっていることは、世の中は常に変化し続けるということだ。先がわからないことに不安を持っていても実はそもそも未来はそんなものであるのに、なぜか保証を求めてしまう。できることはある程度の目処でしかない。準備はもちろんするし、シュミレーションもリハーサルもやるけれど、実はやってみないと、その時がこないと本当はわからない。変化し続ける社会の中で、常に自分が正しい存在であることなど不可能に近い。もし、自分が間違っていたりするのであれば、変えていくしかない。その変化を認められない人は、だんだんと取り残されていくであろう。いずれ周りから人が去っていくであろう。そんな人がいるのが見える時がある。意固地になって変えることができない人がいる。それは全て半面教師としてとらえ、そこから私はそうならないようにすることを学べる機会をもらっていることは、ありがたいことなのかもしれない。

そんなことをつくづく思う最近だ。

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