明日は満月だ。今宵も、美しい暖かい光につつまれると、少しホッした。コロナ禍であることを忘れさせてくれるかのようだった。ヘトヘトの月曜日の身体に染み渡った。明日はどんな願いをかけようかという妄想にかられる。月のように美しいものは願いを叶えてくれるような気がする。きっと、この地球に宿した全ての人間の生命は幾億万年も同じことを感じてきたのではないだろうか。だから空を見上げる。

そういえば、2010年から毎年ハワイの仕事に行き始め、去年までの10年間、この8月初旬に日本にいることがなかった。ちょうど、昨年の夏にその仕事を卒業し引き継いだのだが、今年はコロナでその仕事自体が無くなっている。世の中が一変してしまった。たった1年前なのに幻のように感じる。

ハワイの仕事は関係なくなったが、来年の夏はどうなっているだろうか。全く予測もつなかい。状況がよくなっていることを願うのは大前提だが、国際交流とか海外研修とか留学というものが、どうなるのかが心配な部分である。実際に、世界を歩くことほどの学びはないと私は思っている。言葉が通じない、もしくは通じにくい環境に身を置き、それでも生きるためになんとかするという対応力を身につける。言葉だけでは伝わならいから、ジャスチャーや表情やエモーショナルサウンドを使ってなんとか伝えようとする表現力が高まる。積極的になる。度胸がつく。などなど、様々な学びは実際に体験しないと獲得できないものが多い。

果たしてこれらを、リモートできるのだろうか。肌でその風を感じることまではできない。なんでもかんでもオンラインではできない。

私がやっている演劇なんてのもそうだ。演劇を配信するものが演劇といえるのだろうか。役者の温度、雰囲気、音を生で感じるとれる臨場感こそが、演劇の醍醐味である。演技だけだったら映画でもドラマでも見れるだろう。なぜ、生身の役者が演じるのを見たいのか。その瞬間にしか起きない一時を味わうためであろう。

場所によっては密閉された空間である劇場とよばれる場所は、新しい生活様式には適していなかもしれない。しかし、本当の演劇がなくなってしまうことにはなって欲しくない。できる方法を、まだあまり他がやっていない感染予防方法などを模索し、やれることは全部やるぐらいのことをして、演劇の衰退を防がなくはならない。

演劇も海外へ行くことも、体験する機会を無くしてならない。

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