疲弊している自分の中から生まれてくる言葉は醜い。何がここまで私を追い詰めるのか。
よくわからない。
しかし、どうでもよいという感情が生まれつつある。それはあきらめというものであると同時に、物事を具体的に有限にするという意味でもある。根本である哲学的な部分での違いが明らかになった時に、そこに折り合いをつけて、分かり合えることができるだろうか。
私はそうは思わない。
これまでも、同じような危機が何度かあったが、なんとかなってきた。なんとかしてきたという方が正しいだろう。だが、今回は今まで一番厳しい状況にある。
美しい言葉は、綺麗な言葉が頭に浮かんでこない。何がここまで私を追い詰めるのか。
よくわからない。