年齢のせい

なんでも年齢のせいにしたくない。

今年の3月ぐらいから、とにかくどの年齢の人たちにとっても大切な時間や経験をすべく物事が失われ始めた。コロナというものに対して、みんな被害者である。しかし、それを高校生だから可哀想とか、中学生だから、小学生だから、などなど子どもに対して過剰な反応を起こすことに疑問を感じる。もちろん、それは未来に向けて夢や希望も無限にある子ども達に対する思いだと思うが、そこだけが大事なのではない。大人でも子どもであっても、失われたものを比較することはできない。年齢など関係ない。

何か新しい物事に対しての好奇心、順応性、チャレンジすることというのは、年齢には全く関係ない。きっともともとそうだっただけで、年齢のせいにしているだけだろう。年齢のせいだと言えば簡単だし、あたかも自分のせいではないように聞こえてくる。

結局は、人生は自分のせいで動いている。自己責任だ。そこを世間体、周りの雰囲気、社会的なことを考えすぎて、誰かの何かのせいにしてしまうことをいい加減やめてはどうだろうか。

そういえば最近、覆面パトカーを夜道でもスポットできて回避できたり、いつも通る道でたった数分前に事故が起きていたり、この辺取締りがあっているだろうなと思うところでやっぱりやっていてスローダウンを前もってしてたり、などニアミスが続いていた。これは何かのサインなのかもしれない。気を引き締めよう。

Previous PostNext Post

Related Posts