心の静寂

タイの蒸し暑い空気に包まれながら、今日も日本との打ち合わせに追われていた。時差を頭の片隅に置きつつ、現地での活動に参加する毎日が続いている。現代のコミュニケーションツールは便利で、インターネットさえあれば、世界のどこにいても仕事をこなせる。しかし、この便利さが、時には逃げ場のない圧力となることもある。「世界の果てまで追いかけられる」なんて、ふと考えると不安になる。

それでも、仕事を最優先に考える習慣が身についている私にとって、オンとオフの切り替えは難しい。年齢を重ねるごとに、少しずつではあるが、そのバランスを取る必要があることを感じ始めていた。自分自身の心と体を守るためには、時には一歩引いて休息を取ることも重要なのだと。

タイの街角には至る所に仏像があり、その静かな存在感が心を落ち着かせる。信仰心深い仏教徒たちが暮らすこの国では、仏像が日常の風景に溶け込んでいる。それは日本の神社と似ているかもしれない。日本では神社に足を運ぶのが日課となっていた私も、タイでは自然と仏像に手を合わせるようにしている。何か偉大な存在に願い事や思いを伝えること、それは私にとって大切な儀式だ。信じることで、そして言葉にすることで、願いはきっと叶うと心のどこかで確信しているからだ。

今日も、タイの空の下で、私は一つの仏像の前に座り、心の内を静かに語りかけた。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。聞きなれない鳥の声と雑多な環境音の中で、まるで時間が止まったかのような一瞬は少しだけ忙しさを忘れさせてくれる。目を閉じたまま、その心の静寂を味わっていた。

写真は、大学にある立派に祀られている仏像。

Related Posts