物事は常に変化していく。それは、どれほど抗おうとしても変えられない、揺るぎない事実だ。ひとつの状態に留まり続けることは決してなく、気づけばすでに次の波がやって来ている。
今日は、ふとした拍子に過去の自分の仕事に触れる機会があった。その頃の自分が、どんな思いで、どれだけ必死に向き合っていたか。少しだけ胸が熱くなった。当時は間違いなく、自分の中での最先端だった。情熱を注ぎ、手を動かし、未来を信じていた。
だけど時は流れ、その形は「古さ」として見えてしまう。あんなに新しかったものが、今や懐かしさを帯びている。それはどこか寂しくもあり、しかし同時に、誇らしさのような感情も混ざっていた。
時代は巡る。
一度過ぎ去ったものが、また新しい価値をまとって戻ってくることもある。たとえば、1990年代や2000年代のファッションが、今また若者たちの間でリバイバルされているように。
思えば、それはまるでフラクタルのようだ。
大きな波の中に小さな波があり、繰り返されるパターンの中に、ほんの少しの違いと進化が宿っている。私たちは、螺旋階段をのぼるように同じ景色を通り過ぎているのかもしれない。でも、そのたびに少しずつ違う高さから、違う視点で、その景色を眺めている。
だから、過去が古びて見えたとしても、それは終わりではない。むしろ、また新たに光を当てるタイミングが巡ってきただけなのだ。あの頃の自分が紡いだものたちが、もう一度、今の私の手によって息を吹き返す日が来るかもしれない。
そう思うと、少しだけ、未来が楽しみになる。そしてまた今日も、自分なりの「今」を刻み続けていこうと思えた。
