子どもたちの表現を伸ばすということは、単に上手に話せるようにすることでも、きれいに発表できるようにすることでもない。もっと根っこの部分に関わる営みなのだと思う。
子どもは本来、とても豊かな表現者だ。
嬉しいときは全身で喜び、悔しいときは顔を真っ赤にして怒り、楽しいときは理由もなく走り出す。その一つひとつが、言葉以前の「生きた表現」なのだろう。
しかし成長するにつれて、「こうしなさい」「それは違う」「もっと上手に」と言われる回数が増えていく。もちろん指導は必要だし、社会の中で生きるための型を学ぶことも大切だ。けれども、その過程で、自分の感じたことをそのまま外に出す力が少しずつ萎んでしまうことがある。
だからこそ、子どもたちの表現を伸ばすために必要なのは、まず安心できる場所なのだと思う。間違ってもいい。うまくできなくてもいい。否定されない。そんな空気の中ではじめて、子どもは自分の内側にあるものを外へと差し出す勇気を持つ。
表現は技術ではなく、関係の中で育つものなのだろう。信じてもらえていると感じたとき、子どもは驚くほど大胆になる。小さな声だった子が舞台の中央に立つようになり、うつむいていた子が友だちの前で物語を語りはじめる。その変化は、とても静かで、けれど確かに大きい。
そして大切なのは、「答えを急がないこと」だろう。表現には正解がない。つい完成形を求めてしまうが、子どもにとっては過程そのものが宝物だ。迷いながら、試しながら、自分なりの形を探していく。その時間を奪わないことが、結果として一番の成長につながる。
子どもたちの表現が伸びていく瞬間に立ち会うと、いつも思う。人は誰もが、本当は表現したい存在なのだと。言葉でも、身体でも、音でも、沈黙でさえも、その人なりの「生き方のかたち」なのだ。
だから私は、見守りたいと思う。
少し背中を押し、ときどき一緒に笑い、ときには黙って待つ。
その積み重ねの中で、子どもたちは自分だけの表現を見つけていく。
表現を伸ばすとは、可能性を広げることだ。
そしてそれは同時に、「あなたのままでいい」と伝え続けることでもあるのだと思ったりする。
