不便を味わっていると、実は心にちょっとしたゆとりが生まれてくることに気づく。自分だけのペースで動けないぶん、人に頼る時間ができたり、公共交通機関に身を任せたりする。そうすると、“自分の都合だけでは動けない”という当たり前の事実に、少しずつ身体が馴染んでいく。
そして、乗り換えの待ち時間や、バスが来るまでの静かな数分…そんな隙間が、いつのまにか呼吸を整える時間になっていく。
ふと立ち寄った洋服屋でウィンドウショッピングをしたり、ダイソーで「そういえば必要だった」と思い出したものを買ったりする。以前ならスケジュールの隙間にねじ込んでいた小さな“用事”が、今は自然と流れの中で片付いていく。
不便さの中にあるゆっくりとした歩幅が、いつしか自分の周りを柔らかくしてくれる。
急がなくてもいい時間を持てると、人と話す声に少し優しさが混じる。景色を眺める視線も、ほんの少しだけ遠くに届く。
不便であることは、時に不自由だけれど、その不自由さが日常の輪郭をゆっくりと広げてくれる。
今まで気づかなかった余白のようなものが、そっと心に降り積もっていくのだ。
