変わりゆく時代に

みなさん、

こんばんは。きっと令和のカウントダウンをしている人が多いのではないかと思います。私は、一つの時代が終わることに対してそこまで大きい感情があまりないというのが正直なところです。時代は常に変化していくものであるわけです。ただ一つ言えるとしたら、新しい節目を迎えるにあたり、そこ明るい希望の光が垣間見えるということです。そこまでポジティブになれないのは、負の遺産がいっぱいあるからでしょう。課題は山積みです。しかし、これは逆に言えばチャンスであると捉えることもできます。だから、ほんのちょっとの希望を感じるのかもしれません。

昭和から平成になった時、私はまだ中学生だったので、そこまで何かが変わるというような感覚はありませんでした。昭和が63年も続いた歴史を知ってみると激動であったと察することができました。平成も激動であったことは間違いないです。平成はもっと当事者である感覚が存在します。平成がどのような時代であったかということは、個人の経験や価値観によって全く違っていると思うのですが、テクノロジーの進化によって時代の変わり方が早かったように思えます。明治時代に、志田林三郎先生が予言した携帯電話を持つような世の中は、あっという間に実現し、そして今は手元であらゆることができるスマートフォンに進化しました。スマホが最初出た当時、私はアメリカにいたのですが、あんなもの絶対持ちたくないと感じたことを思い出します。それが、今ではたくさんの人たちにとって無くては生きていけないような存在となり、それに依存する人さえも出ています。

世の中なんてあっという間に変わる。その変化にどう追いついていくのか、追われるのか、取り残されるのかは、考え方次第にすぎません。どうれであれ、変化を止めることはできません。

私は、変わりゆく時代の中で、少なくともぶれない思いを持ちたいです。それは、単に言えば「教育」です。どんな人とでも学び合い協働できるようなコミュニケーション能力を高め、能動的な学習の機会を提供することで獲得した知識を、行動へと変化させるような教育です。これを、私はこれからも演劇、英語、LSPなどの手法を使いながら実践と研究を重ねていきたいと思っています。

昭和でも平成でも令和でも
明日はどんな自分に出会えるだろう
そんなことを楽しみに生きる
そんな自分でありたい

本日の写真は「上色見熊野座神社」です。

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