期待に応えること

みなさん、

こんばんは。

今日もいろいろ考えていることを語りたいと思います。

「期待に応えること」です。これはいい時もあれば、悪い意味でも起こりうるものです。しかし、何かを決めるのは当事者である本人なのであるから、周りが本来ならとやかく言う必要はないはずです。しかし、これがメディアなどで報道され注目される存在になると、なんとなく周りの期待感というものができあがってしまいます。それがあたかも正しいことのかのように動き始めます。

そうです。高校野球のピッチャーの話です。

現在、甲子園に向けて全国的に地区大会が行われている中で、とある160kmを投げるピッチャーがどんどんメディアで注目をされていきました。その学校は地区大会の決勝まで進んだのですが、決勝戦では監督の采配でそのピッチャーは投げなかったのです。それは個人のコンディションなどによりチームを采配する監督が決めることなのですが、投げなかったことに関して周りの人たちが自分勝手な批判を言いたい放題の状態なのです。SNSでも、ニュースでも。この件に関していろいろな記事などが出回ったりしていて本当に酷いものです。

選手も監督もどんな思いをしているでしょうか。

その選手が投げるのを見たいという浅はかな期待をしているだけではないでしょうか。専門家はその選手の将来についてどうのこうのと言って、自分の主観的な考えで、肯定したり否定しているようです。私は、そんな期待に応える必要は監督も選手も全くなかったと思います。特にスポーツの場合は、変な期待に応えて無理をさせたりして怪我をしたら、一生を棒に振るかもしれないのです。子どもの場合だと、もし怪我でもしたら、今度は責任のなすりつけあいになるでしょう。

世の中の歪み関しては、以前にもブログに何回か書いておりますが、なんだか世の中がますますおかしくなってきていると思ってしまいます。大人は子どもに、自分で決めるということを成長過程の中で、教えていくはずです。しかし自分で決めることに対して批判を浴びるような社会があるのが現実です。いい意味で期待に応えることも、裏切ることも、自分で決めることが認められるべきなのではないでしょうか。

今日の写真は、スーパーで見つけたアメリカンなケーキです。きっと期待を裏切るくらいに甘いですよ(予想通りかな?笑)

Related Posts