人は打ち砕かれることで、より強く、そして成長していくのだろう。その瞬間、欠けていたものに初めて気づき、冷静な目で自己を見つめ直す。欠けたピースを埋めるために、どうすればよいのか、自問する。かつては正しいと思った選択も、振り返ってみれば、果たして本当にそれが正解だったのかと疑問を抱かざるを得ない。しかし、それもまた一つの学びであり、受け入れるべき現実なのだろう。
一つの道に全力を注ぐ覚悟を持ち、他の可能性を犠牲にしてまでもその道を選ぼうとしていた時に、もしその道が途絶えたなら、それは進むべき道ではなかったのかもしれない。
「あなたがいい」と選ばれる存在になるには、まだまだ足りない。知識もスキルも、そして人間性も。だからこそ、磨き続けるしかない。目の前のことに追われるだけでは足りないのだ。
最近、同い年の知り合いに再会した。彼の成長は目を見張るものだった。確実に進化を遂げ、本気で取り組む姿勢がその全身からにじみ出ていた。彼と最初に出会ったのは2011年。それから13年が過ぎようとしているが、彼の進化の度合いに私は圧倒された。まさに、本気とはこういうものだ、と再認識させられた。知っていたはずのことが、まざまざと目の前で見せつけられたのだ。自分に足りないものが、ようやく腑に落ちた瞬間だった。
自分は果たして本気であっただろうか。そう思い込んでいただけではないか。表面的に「本気」であるように見せかけていただけではないか。優れた人間になることは、実はそれほど複雑なことではなく、ただ単に全力で取り組むというシンプルな行動の積み重ねに過ぎないのかもしれない。