「何回も傷つけられたら、相手を紙やすりだと思ってください。自分はピカピカに磨かれるけど、相手は使い物にならなくなります。」
そう語ったのは、アメリカの牧師であり、自己啓発作家として知られるリック・ウォレン(Rick Warren)だ。キリスト教らしい考え方とも言える。
人は誰しも、理不尽な態度をとられたり、思いもよらぬ一言で傷ついたりする。そういうとき、怒りがふつふつと湧いてくるのは当然だ。あるいは、心に重たい悲しみが落ちてくることもある。
でも、そんなときこそ一歩、引いてみることもできる。深く、ゆっくりと息を吸ってみる。「あの人は、私を磨くために現れた紙やすりかもしれない」と。
紙やすりは、粗く、痛く、無骨だ。でもそれがあるからこそ、木の表面は滑らかに整えられ、美しい光沢を放つようになる。同じように、心もまた、傷つけられることで磨かれ、しなやかさと強さを育てていくのかもしれない。
もちろん、耐え難いほどの痛みを無理に肯定する必要はない。逃げてもいい、距離をとってもいい。けれども、その経験の意味をどう受け取るか。それだけは、自分で選ぶことができる。
他人の言動は変えられない。でも、自分の「捉え方」は変えられる。そしてその一つひとつの選択が、少しずつ、けれど確実に、自分を育てていく。
そう。すべては、自分次第なのだ。