かけた時間や努力の量は関係ない。要は結果を出せるような質の高さだ。無駄な練習や時間を費やしていてもしょうがない。
だからこそ、「なぜそれをするのか」を常に問い直さなければならない。
意味のない努力は、疲弊を生むだけだ。けれど、明確な目的をもって取り組んだ努力は、たとえ遠回りに見えても、確かな価値を生む。
目的を持つことは、迷いを減らす。意味を知ることは、ブレない軸をつくる。
「なぜこれをやるのか」が見えている人の行動には、力がある。
「どうせやるなら、意味を持て。」
それだけで、同じ1時間の使い方がまるで違ってくる。
ヴィクトール・フランクルはこう言った。
「人生に意味があるのではない。人生に意味を与えるのは、私たち自身だ。」
ちなみに、ヴィクトール・フランクルは、オーストリアの精神科医で、「人はどんなに苦しくても、生きる意味を見つけることで前に進める」と信じていた人だ。彼は第二次世界大戦のときに、ナチスの収容所でとてもつらい経験をした。でもその中でも「自分にはまだやるべき意味がある」と思って、生きのびた。
努力も練習も、すべてはその先にある目的のため。
ただただ、僕は意味のある一歩を、今日も踏み出したい。
それがたとえ小さな一歩でも、自分の中にある「なぜ」に応え続ける限り、前へ進んでいることに変わりはないのだから。