いくさは一旦終わりました

みなさん、

こんばんは。ひとまず終えました。今回は長かったです。これから若干修正は入ると思いますが。そして、次は脚本書きですな。まあ、次から次に期限はやってきますが、母には「やることがあるのはいいことよ」と言われます。まあ、確かにそうです。

今夜は稽古でした。芝居を少しずつ作っていっています。私は子どもたちとも、年齢が上の方々とも芝居を作りますが、今回のように近い年齢の仲間たちとも作っています。稽古自体もですが、たわいもないお喋りも楽しかったりするものです。幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊もそうなのですが、本気になれることに一緒に向き合えることが嬉しいですし、日々、そんな幸せを感じています。

最近、考えていることは、子どもでも大人でも「認めてもらえる」ということです。もちろん失敗もあるだろうし、間違いだって起こすでしょう。でも、その時に、求められていないとか、認められていないとか、思わないでいいんではないしょうか。うまくいくことってのもたまたまだったりします。結局は何をするにしても、他の人間と一緒に常にやらなくてはならない。万人みんなと何をやってもうまくいくのであれば、それもおかしい話です。私だって、できれば私がすべてやることが、関わるみんなに認められて喜ばれたいと思いますが、そんなことは絶対にないでしょう。難しいから、まだやれる、やりたいと思って、やり続けているようなものです。

私の見解にすぎないかもしれませんが、最近は世間を騒がせているような変な犯罪が増えているような気がします。これも、成長過程の中で「認めてもらえる」体験が少なかったのが原因ではないかと考えているのです。演劇のワークショップが全てを解決できるとは言いませんが、演劇という一つの手法において、相手にほんの一瞬だけでも認めてもらえる体験をしたり、その姿勢をお互いに感じあうことができると思っています。「あなたは必要です」「一緒にやりましょう」など、他者から言葉で言われなくても、演劇の時は、その気持ちや感覚は伝わるものです。他者、そして社会という他者の集合体から「あなたは必要されている」ということが少しでも体験できるのが演劇だと私は考えています。

さて、2019年も半分終わりましたね。今年は史上最高にやることが多いとすでに感じています。山場はすでに数回訪れています。今、登っていっている山々もあります。難しいと思っていることも、意外に簡単だったりすることもあります。いずれにしても、時より立ち止まることもあるにしても、常に前を進むしかありません。

今日の夕方の美しい空をあなたも見られましたか?

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