どうにもならないこと?

みなさん、

こんばんは。

何か変な事件が続いている最近です。なんでこんなことをが起きるのでしょうか。高校生を刺して逃走したり、傘で目を刺す事件もありました。病んでいる人たちがあかるみになってきているのでしょうか。このような人たちを世の中に出してしまった社会の責任として捉えるしかないのでしょう。親だとか、学校だとか、職場だとか、誰かに責任を特定しても何の解決にもならないでしょう。

選挙前ということで、私の社会の責任ということを考えています。

幸いにも私が知る限りでは、関わった人たちの中では、大きな犯罪を犯すような人はまだ出てきていません。しかし、私が今関わっていたり、これから関わる人たちに、どのように接するかでその人の人生が変わってしまうような影響を与える可能性があることも確かです。無論、良い意味でも悪い意味でもです。願わくば良いことにつながって欲しいと思っているのは、みんなそうだと思います。しかし、そうもいかずコントロールできないことも多くあるでしょう。

たまたま私にはまだ起きてないだけかもしれません。そして、直接関わっていなかったから、私に責任がないかというと、そうでもないかもです。社会を作っているのは、私たち大人たちです。そこに当事者意識を忘れてしまうことは危険だと思います。自分さえよければそれでいいとか、自分が死ぬまで平和だったらそれでいいなどと考える輩が増えれば、世の中はますます悪くなっていき、変な犯罪も増えていってしまうでしょう。

それぞれの立場で、この社会のために、世の中のために、未来のために、子どもや若者たちのために、何ができるかを常に考え、動きたい。そんなことを改めて言う必要はないのかもしれませんがね…。

昨夜は、テレビでたまたま「事件の涙」と題する、いじめのドキュメンタリーをみました。こちらがリンクです→ https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4708/2894218/index.html

いじめを受けていたのに、親に言えなかった結果自殺をしてしまった子どもの親のドキュメンタリーです。胸が痛くて痛くて、どうしようもできない思いになりました。昨日は、ちょうど20歳未満の若者層の自殺率が、1978年以降、2018年は最悪だったことがニュースで発表されました。599人もの20際未満の若者が自ら命を絶っているのです。1年が365日ですから、単純計算で、毎日日本のどこかで1人以上の若者が自殺をしているのです。嘆いていても、どうしようもないです。悲しいことだとみんな思うでしょう。ならば、何ができるかを本当に考えなくてはならないと思います。

今、人権フェスタに向けての仕事をご依頼いだたいています。そこでやはり、何か社会に訴えるようなことを書きたいし、そんな機会にしたいと考えています。人権フェスタに関しては12月に全国的に行われていて、いつも疑問に思っていることももちろんあります。そこに来る人たちはいいけれど、そこに来てもらえない人たちにどう訴えかけるかということです。足を運んでもらえるようにするには、どうすればいいのかを考えたいと思います。

子どもがやっているから来て欲しいなんていうことも違うと思います。その成長を見届けるのは、それは意味があるだろうし、感動をすることもあるでしょう。しかし、結局のところは演劇作品を通じて「何を伝えたいか」につきます。それを感じてもらうことで意味がでてきます。それが伝わらない作品を作っているのでは、はっきり言って意味がありません。これは自戒も含めてです。

世界情勢も暗雲が立ち込めているし、何かと自分が社会に対してできることを考える最近です。

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