あの頃の記憶

みなさん、

こんばんは。今日もStay Homeでした。何かとちょこちょこやることはありはするのですが、ゆったりとした時間が流れています。外があまりに静かで鳥の声しか聞こえなくて、ちょっと不気味に感じました。きっと動物たちも突然出てこなくなった人間たちを不思議に思っているかもしれませんね。人間が来なくなってもともとの美しさを戻している自然の場所があるということを耳にしました。

忙しくしすぎずに生産性だけを求めない生活が続くと、ちょっと感覚が変わってきています。PCのスペックのように、たくさんのことを一気に短時間で処理することができることを、自分に求めていたように思います。理解力を高め、クリエティブなアイデアがすぐに出ることを期待していたところがあります。つまり仕事ができる人になりたいとずっと思っていたところがあります。しかし、その価値観がひょっとすると逆転さえするかもしれないと感じている最近です。仕事ができることに越したことがないとは思うのですが、もしかすると、仕事をやりすぎることがいいと思われない社会がポストコロナで待っていたとしたら、どのように対応できるのでしょうか。

あくまで妄想に過ぎないのですが、この数ヶ月の出来事は想像を超える社会変化だったので「ありえない」と決めつけることはできないと思っています。

さて、今日も夕方からは涼しくなったのでウォーキングに出かけました。いろいろなことを考えながら、しばらく歩いていました。近くにある違う神社へ行ってきました。そこでも幼少の頃に遊んでいた記憶があります。神社で遊ぶというのは世代なんでしょうかね。昭和っぽいです。

あの頃にどんな未来を描いていたかなんてことは覚えていないです。将来のことはあまり考えずに、その瞬間が楽しかったのかもですね。その時間に集中していたのでしょうか。

シャイでそこまで色々しゃべらない今の自分ですが、幼少のときは全く違っていました。思春期を迎えるまではむしろしゃべりたくて仕方がなかった自分でした。その瞬間に集中をして生きていて、次に何が起きるかを怖がらず自由な自分だったのでしょう。

物心がついてから、それができなくなった自分はお芝居に出会いました。すると、少しだけあの頃の感覚に戻れた感じがしたのです。子ども心を抱けるのが演劇ではないかと思ったのでしょう。

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