丁寧な暮らし

効率の悪いことを嫌う傾向がある。今日はちょっとしたことで、何度か同じ場所に戻らなくてはならないことがあった。そんな失態をしている自分自身にイラッとくる。大したことではないのは確かであるが、いかに短時間で何かを達成するかとういことを優先的に考えてしまう自分がいる。これもきっと状況によって良し悪しがあるだろう。

コロナ自粛の影響によりトレンド入りしている「丁寧な暮らし」とは、かけ離れているのかもしれない。確かにコロナによってお家時間やプライベートの時間があり、そこに目を向けるようになったことは確かであろう。そこに幸せを感じたこともった。しかし、やはり仕事がしたい。活動がしたい。家にいることも楽しかったけど、日々の丁寧な暮らしに時間をかけることよりも、優先したいことがあるのだということを改めて感じた。

しかし、これはきっと忙しさの中にある自分の心の乏しさとも言える。効率的になんでも短時間でやることを重んじ、その過程の中にある豊かさを感じることができていない。

一方で、芝居という超アナログで、作りあげるのに時間と手間がとてもかかることもやっている。そのプロセスの中では、人の表現というものを扱うため、効率的に引き出せることなどはありえないと言ってもいい。ゆっくりと丁寧に時間をかけなくてはならないものだ。

だから結果的にバランスがとれているのだと自分に言い聞かせる。しかし、芝居を作ることができなくなったら、自分の生活はどう変わるのだろうか。そんなことを今は想像できない。活動のやり方や活動団体は変わるかもしれないが、結局は新しいプロジェクトを探し求めていくのであろう。

超面倒くさがり屋だが、面倒なこともいっぱいやっている。きっとみんな同じだろう。たまに、丁寧な暮らしを垣間見ることができたら、それだけでいい。今は。

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