Thoughts for today

夜中の雨は嘘のように朝には止んでいた。無事に授業が開催されたのは幸いだ。その他、もろもろ仕事を追えたら晴れ間さえも見えてきた。汗ばむ感じはあっても、夕方になると風もあった少し涼しくも感じた。今年の夏はなんだか不思議だ。7月の下旬にもなるのに本格的な夏日はまだ感じていない。そんな中でも、セミだけはいつもの夏のようにしっかりと鳴いている。

コロナだけではない、大雨が多いこんな夏が来ることを誰が想像できただろうか。当たり前の楽しい夏休みという響きが懐かしい。いつか、そんな日がやってくるのかもしれないが、本当に何が起きるかわからないことがわかった2020年だと思う。

これから仕事がどう変わっていくのか。対面的なこともやっているが、オンラインやリモートのニーズがどんどん高まっている。ここ数ヶ月で自分のスキルもかなり上がったし、実際に実践の機会も多い。場所によると思うが、人口が多い都会では、むしろ対面の方が少なくなるのではないだろうか。その辺は、地方で仕事ができていることは幸いである。今は、対面とオンラインの両方を、織り交ぜた感じだ。ただ地方においても、状況が一変してオンラインだけになったとしても対応できるように備えておきたい。いや、それは必須のような気がする。

災害に対しても備えが必要だ。これから気候がまた変わっていく中で、どんなレベルのものに遭遇するかわからない。この変化にも、順応できるようにならなくてはいけない。もはや安定しているということがありえないのだろう。

さて、今日は授業の中で、「恥」ということを少し話した。自分もこの感情が一体何かということを考えたりすることをあまりやってこなかったと改めて思った。例えば日常の生活の中で「消費する」とはどういうことかを深く考えることをあまりしないだろう。それと同様に、恥ずかしいという感じることは当たり前でありすぎるから考えないのだ。でも、表現やコミュニケーションという分野の研究者としては、この恥ずかしいということも分析する必要がある。世の中には恥ずかしいということを感じない人もいるだろう。感じてしまう人にどうすればいいのかという簡単な答えはないが、より知るということがまず必要だ。何に対して恥しいのか。一つは人の目であろう。もう一つは自分自身に対しての情けだ。これらのどちらの状況なのかで対応策も変わってくるのであろう。

また、ある特定のグループ、知り合い同士だったら恥ずかしくないという考え方もある。しかし、元を返せば、知り合いになる前には他人であったわけで、その他人にある程度の自己開示をして知り合いになったのだ。世の中は圧倒的に知り合いの方が少ないわけであり、恥しさという感情抜きで、他者と接して何かを一緒にやるということを、あらゆるところでやる必要があるのが人間なのではないだろうか。特に社会に出て仕事をしている時には、恥しさなんて気にしていられない。

自身がないから恥ずかしいと感じる人もいるようだ。では、自信はどうすれが持つことができるようになるのか。それは準備と訓練で場数を踏むしかないと思っている。場数を踏めば、そこに関わってくれる人が、認めてくれる部分がある。もちろん、改善した方がいいことも教えてくれる。そんな気づきをえることの繰り返しで、だんだんと自分のことがわかってきて、自信は自分の力で持てるようにしていくであろう。

さらに、他者の反応が怖いから、自信をもって他者と接することができずに恥ずかしさを感じてしまうこともあるようだ。否定や拒否をされたら恥ずかしいと感じることへの恐れである。しかし、ある程度の他者は自分が思っている以上に受け入れてくれるし、認めてくれるものだ。ほとんどの人は肯定的に自分のことをまず考えてくれる。最初から否定で入る人などはなかなかいない。そこを信じられるかどうかであろう。

まだまだ分析は足りぬが、今考えているのはこのくらいだ。

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