今日はなかなか背中の汗がひかない日だった。こんな日もあるだろう。まだまだ季節は夏なのだと主張しているようだった。しかし、すでに夏休みが終わっているところも多く、夏の雰囲気でもない感じもする。

スマホ片手に持っていたらあらゆる情報が手に入る世の中なわけであり、空き時間さえあればネットで見なくてもいいものまで見てしまう。そんな中で、「ライスワーク」「ライフワーク」「ライトワーク」の3種類の仕事があると真剣に言っている人の動画を見た。そんな考え方もあるだろうけど、自分の場合、演劇の仕事であろうが、英語の仕事であろうが、その他の仕事であろうが、あまりカテゴリーを分けて考えたことがない。どんな仕事であろうと面白くやりたいと思っているだけだ。クリエティブに考えることが面白い。そんな風に考えているからだろうか、だいたいの仕事はクリエティブなことが求められている。

「地獄言葉」という概念も今日初めてネットで見た。つまりネガティヴな言葉のことを言うらしい(厳密には違うかもしれないが、それはご容赦を。自分の解釈である。)。それを口に出さない方が良い人生を送れるという、至極当然の話をされていた。言葉が自分に与える影響とか、引き寄せだとか、運気が逃げるとか色々な理由があるから、言わない方がいいと言われていたのだが、単純に考えても、地獄言葉は言わない方がいいというのは、小さい頃から教えてきてもらったような気がしないでもない。ただ、口に出すことをひかえようと思ったのは、「疲れた」「面倒臭い」ぐらいだ。感情の生き物であるため、ついついでてしまうことがある。

また、今日はとある知り合いのブログを発見した。ここでは知り合いというだけにして、深くは説明しないでおこう。ただ、今日は色々とネットで見ていたことに共通していた「生き方」にについて、このブログも語っていた。誰であろうとネット上に流すのは、誰かの役に立てたらという思いからではないだろうか。私のブログがそれをできているとは言い難いかもしれないが、読んでくれる人がいて、何かしら考えたり、思ったり、時には気づきを与えられるものにもなっていたりする。演劇など自分が関わっている物事に関することで伝えたいことがあるからだったりする。

その人の「迷ったら新しい景色が見える方を選ぶのが良い」と書かれていたツイートからブログにたどり着いたのだが、思えば、自分は常にそうしてきたし、自分の場合は20代の時に限ったことではない。あまりにフラフラしすぎだろうって思われるかもしれないが、リスクを背負ってでも自分にコミットして生きてきたと思っている。リスクがあるゆえに失敗もいっぱいだし、安定とはかけ離れて生きてきたように思う。

そもそも仕事をするとういことは、人のために時間を使う(生きる)ということだと思う。その費やした時間の対価としてお金をもらう。いくらでも時間を使ってしまう演劇の仕事を考えると、その費用対効果は薄いであろう。しかし、同時に、自分のために時間を使っている(生きる)と考えると、時間がかかってもいいと思えるだろう。どちらがいいなんて答えもなし、バランスをとれたらいいなどという実現できない理想などは語りたくない。

考え方次第で世界は平和に見えたりするわけであり、どんなに忙しくしていても考え方次第で、不幸にも、幸せにも感じることができるのだ。そして、どんな組織に所属していようが、基本自由人であるというスタンスを忘れないで生きていければ、それだけいいのかもしれないと思ったりする。

世界を歩いてきた、結果、地元に戻ってきている。そんな人生も悪くないだろうが、今夜のとある番組でアンジェラアキの「HOME」という歌を久しぶりに耳にした。ボストン近郊のハイウェイを、この歌が流れる車でとばしていた頃のことを一気に思い出した。「Home is always calling out my name」とは全く思ってはいなかったのに1年たらずで、自分の人生最大のリスクを背負って日本に帰ってきた。それから12年後の今の自分をあの頃は全く想像もできなかった。正解なんてものはわからない。結果的には帰ってきてよかったと思っているが、帰ってこなかった人生もきっと面白かっただろうなと思ってしまう自分がいる。

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