演劇の世界観

演劇のできることを考える夜となった。

タイミングがあったので、今日は夕方から「日本の戯曲研修セミナーin福岡Vol.3」の発表とシンポジウムが福岡のあじびホールで開催されていたので足を運ぶことができた。別役実の戯曲「堕天使」のリーディング公演、「マッチ売りの少女」の見えない演劇公演を見てきた。貴重であり贅沢な時間となった。なかなかこのような戯曲の公演を見るチャンスはそんなにない。別役実の不条理の世界観を役者の声で体感することができて、実に面白かった。できればワークショップにも参加したかったと思った。

別役実の作品はちょっと難しいと感じる人もいるだろう。現代の演劇というものはわかりやすいものが求められる傾向にあるのは確かだ。時代の流れと言えばそうなのだが、名作と言われるものが今でも語り継がれているのには理由がある。それらに本で出会うのではなく、役者の生の声で出会うことで、今夜のように魅力を本当に感じることができる。クラシック作品にもっと触れる機会を作ることで自分の演劇の幅を広げることができるのではないだろうか。

久留米シティプラザにいらっしゃった時代に出会った小松杏里さんが「マッチ売りの少女」の見えない演劇の演出をされていた。盲目の方にも楽しめるものとして「演劇は見るものであるという前提を覆す」作品つくりは素晴らしかった。今まで感じたことのない、音だけで感じる演劇を繊細に感じることができた。役者のセリフだけではなく、紅茶を飲む音や足音、SEなどで余計に目で見るよりもリアルに感じることができたような気がした。見終わった後の研ぎ澄まされた感覚はなんとも言葉にし難い経験となった。

「堕天使」は難解だった。「?」が頭に浮かんだまま、物語は進んでいくが、どこかの時点でなんとなくつながって、伝えたかったことが理解できた。どこかに行きたいのだけれど、行けない、そして堂々巡りをしているという姿に共感できる人がいっぱいいたのではないだろうか。コロナ禍にいることも同じようなことであり、このタイミングで下松勝人さんがこの作品を選んだのは絶妙だったと言える。わかりにくい作品も私は嫌いではない。しかし、別役実の作品は、わかりにくいところを重ねた上で、何かドシリと胸に響くものがあるから、面白いのだ。なかなか真似できない。

日本に帰ってくる前は、アメリカではわかりにくい演劇もやっていた自分だが、日本では(佐賀では)わかりやすい演劇を作り続けてきた。いつの間にか12年が経ち、これからまた同じことを繰り返していくことでいいのだろうかと、ハッとさせられた気分だ。新たな挑戦をしたい。クラシック作品をやってみたい。自分が好きな世界観は何なのだろうか。改めて見つめ直したいと思った。

戯曲の演出についてもっと勉強したいな。

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