論理武装というものを考える。一つのことを言われたら、こう切り替えそうとか、あらゆるパターンを考えることなのだろう。どれだけ相手が想像もできないとこころに切り込めるかを考えに考え抜くことができたら、議論に勝てるかもしれない。無論、想定外のことは起きるだろうが、それでも考えられるだけのことを準備して臨んだら、準備した引き出しのどれかが使えるはずだ。それをやるかやらないかで、結果は違ってくると思っている。そこまでやらないことなのであれば、きっと大したことではないのだろう。
自分は今、悩んでいるのではない。それは自分の中にはすでに正解があるからだ。正解のないところに頭を使っていることが悩むという行動であるが、今の自分の中では答えはでている。それを達成するための方法を考え、そして妙案が出た時には書き出したり、人に伝えてアウトプットをしている。
理想とする結果があるが、それを実現することは難しいことだ。何故なら自分がコントロールできないものがあるからだ。自分がコントロールできることであればスピード感をもってすぐに実行できる。だだ、世の中はそんなことばかりではない。違う考え方の人もいる。
さてさて、この難しい局面を迎えている今。自分はどのように戦うことできるだろうか。戦った結果、自分が散っていくのであれば本望だ。理想を実現するために、戦わない自分ではありたくはない。