漠然としていた不安が払拭されたような気がした。この気持ちのもちようは些細なことなのかもしれないが、なんだか今は落ち着いている。
実はこの4月から新しい役目であったり、新しく担当する授業であったり、新しく始まった企画があったこともあり、本当の余裕がなかったのであろう。そして、コロナ禍での公演、出張、作詞依頼、執筆依頼など、かなり様々なことが重なっていたことをやっと超えてゆけた。次の執筆に向けて、なんだかやる気と可能性が見えてきた。さらに、大きな人生におけるステップを踏むことに対しても、一つずつ不安要素を取り除き、ポジティブにもっと感じることができるようにだんだんなってきた。
もともとなんとかなると思っているタイプであったりする。自信はそれほどないが、何かを目の前にした時に、なんとかしたいという強い思いがある。直感に頼って、あまり深く考えすぎないで動く方である。そのありのままでいられる時は、大抵物事は上手くいく。おそらく情報断捨離を少ししないと、常に何かに影響を受けている自分がいて、ありのままの自分を忘れてしまうことがあるのではないかと考えている。物事に追われているとなおさら、そのことでいっぱいいっぱいにならないように、何か他のいらない情報を自分に与えて紛らわそうとしていたのだろう。
自分のことはわかっているようで、本当はわかっていないこともあるようだ。そして、複雑だ。この年齢になってくると、我武者羅に24時間走り続けることもできなくなってきている。何もしない、考えない時間という、人生の余白も必要であることがわかってきた。多分、心の底では、未だに「休みなんて必要ない」と思いたい自分がいる。だからやれることは全てやるスタンスで常にやってきた。
先日、とある人と話してして、メディアシフトにおける中で、どのように市場を変えていくかということを議論した。特に地方における文化芸術という分野で、どう変化に対応していくかは、簡単な答えはない。しかし、新たな何かを生み出していかない限り、ずっと大きくは変わらないことも、佐賀に帰ってきてからの14年間ぐらいでわかってきた。自分たちの団体だけという考えで、関わる人を囲ってしまう時代はもう終わりかけている。横のつながりやコラボレーションをもっとやっていくことが必要だと考えている。おそらくこれは、様々な業界で言えることだと思う。
さて、新しい時代、人生の変化、老い、とどう向き合っていくか…。