無駄とは…?

団体にもよるが、コロナ禍で稽古をして動いている部分もあれば、休止中な部分もある。だが、休みと思っていると、うかうかしていられない。秋や冬に向けて動くことは山ほどあるし、様々なことが舞い込んでくる。忙しさなんて、そんなもんだ。空いているところには何かしら入ってくる。

テトリスのようだと言ったら、ある人に「テトリスだったら埋め込んだら消えますよ」とツッコまれた。確かにそうだ。予定は埋め込んでも消えることはない。

答えは「はい」か「yes」かというのもよく笑い話にしていることだったりする。

ただ、家庭の事情で強制的に休みをとることができるようになった(するようになった)のは少しの成長であろう。なので、年末年始やGW以外にも年に数回は休みがあることにはなる。

まあ、色々とやることが多い自分であるが、スマホで動画を見たりする無駄な時間を過ごしていることもある。アマゾンプライムで映画を見たり、DAZNでサッカー見たりなどなど、気晴らしは必要だ。それは無駄な時間と言い切れないかもしれないが、生産性はない時間にはなる。ロボットではないのだから、どこまで人間に生産性を求めるかということにもなる。考えてみれば人には無駄が多い。無駄なこだわり、無駄な贅肉、無駄な感情、無駄遣い。でもその複雑さが人間なのだから、これも仕方がないことなのだろう。シンプルとかミニマリズムで生きるってかなり難しいと思う。

ここ最近はかなり断捨離はできるようにはなった。そこでいかに無駄な物を所有しているかがわかった。あれだけファッションが好きだった過去がある私だが、職場に着ていく服装はここ2〜3年はあまり変わっていない。それならそれでいいことも、だんだんとわかってきた。

無駄との付き合い方は、生きていく上で永遠のテーマだな。

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