青春と呼ばれた日々

何だか久しぶりにアメリカ時代の話をした。あの頃は若かったのだろうけど、とにかく楽しかった。きっとそれだけでもいいのだろう。信頼できる仲間たちがいて、一緒に芝居を作っては、飲んで語りあっている。それだけ考えると、場所は日本に今はなるけど、そんなに大きくは変わっていないのかもしれない。ただ、今は役者として演じるだけでなく、芝居自体を作ることまで携わっているということであろう。若い時は、役者になることしか考えていなかった。

 

帰りたい、けど帰れないのが青春と言われた日々なのであろう。そこに思い出があるからこそ今がある。めちゃくちゃで、下手くそで、だけど楽しかったあの日々があるからこそ、ちょっとだけだけど、少し真面目になった自分がいる。夢や希望だけで生きていなくて、世の中の様々な現実を踏まえた自分がいる。

 

自分がしてきたように、そんな夢を見れる若者たちがいて欲しいと強く思う。

 

私は演劇をやり続けてる人を育てようとしているわけではない。ただ自分を表現してもいいと思える人になって欲しいと願っているだけだ。表現者として役者であろうが、ビジネスマンであろうが、先生であろうが、なんでもいい。表現することが楽しくて、それを他者を巻き込んで、楽しさを伝えられる人になってくれているなら、それだけでいい。自分らしく表現できることが素晴らしいんだと本気で思ってくれるようにな次世代の人たちが出てきてくれるなら、それが本望だ。

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