恕(じょ)の心

思いやりの心とは何かということを考える。自分に余裕がない時にこそ、真の人間性が試されていると思った。どうすればグレートな人にもっとなれるのか。それは人や物事に対していかなる時にも丁寧に礼儀正しく接することができるかということではないかと感じている。

なぜに感情が先に走ってしまうのか。自分が想定していたことではないことが起きた時に、やはり自分都合で「なぜそうなった?」と怒ったりしてしまう。一つ一つの対応において、人は人を残念ながらジャッジしてしまう。それによって、もうこの人とはやっていけないと思わせてしまうことにもなる。

お互いに思いやることができれば、なんて理想がまかり通るなら、戦争だって起きないだろう。地球に対しての思いやりがもっと前から我々人間にあったとしたら、こんなにも自然災害が起きるようにはなっていないであろう。

孔子様は、思いやりの心の教えを「恕(じょ)の心」という言葉で2000年以上も前に残された。それから私たち人類は何を学んできたのだろうか。その結果が今の地球の状態であるとするなら、何かが間違っていたのかもしれない。

世の中に対して、そこまで大きな影響を与えることはおそらく私にはできない。この佐賀でできることを残された時間の中でやりきるしなかいのだろう。今、与えられている状況の中で、自分がここ数年でできること、やりたいことが少しずつ見えてきている。明確なビジョンをもって邁進していこうではないか。

改めて気づいたことは、何かを思いたったら動けば、何かが起きるということだ。アイデアを口に出すことで、少しずつ道が開けたりする。ヒントをもらえたりするものだ。頼ることができる仲間がいることはありがたい。

今日は充実した集中講義であったし、芝居の通しもできたし、写真撮影もできたし、いい日だったね。

Related Posts