思いやりとを持つことは難しいことなのだろうか。いつもいつも、そんな風には生きることはできなくても、思いやりを持って接するように心がけることはできるんじゃないだろうか。余裕がない時ほど、思いやりの心を思い出せるのかどうかを試されているような気がする。
マスクをつけることに対して様々な考え方はあるだろう。しかし、その感情論は、今は置いといてよいのではないだろうか。感染しない・させないを最優先に今は考えるべきなのではないだろうか。ちょっとの思いやりを持ってマスクをしてあげることで、周りにいる人は安心する。このちょっとした思いやりにかけてしまい、マスクをするのを感情的に捉えて、飛行機からおろされたり、大事な試験を受けられないようになったりしている。マスクに関してそこまでの意地をはる必要があるのだろうか?
おそらく、ない。
クラスターが発生することは完全には防げないのに、起きた場所や人に対して誹謗中傷があっているそうだ。コロナにかかってしまい迷惑をかかけたという思いで自殺する人まででている。コロナに対して、徹底した感染対策なんてできない。何をやるにしてもある程度のリスクを背負うしかない。コロナに感染する可能性があったとしても、仕事にいかないといけない人はいっぱいいる。対面で働いている人がいっぱいる。いつどこで感染してもおかしくはないと言葉では言ってても、本当はそう思っていいないのだろう。
思いやりはどこにいってしまったのだろうか。