「心の信念」と「頭の信念」の両方の間で僕はまだ生きている気がする。拡大解釈すると「真実」と「偽り」と言い換えられるのかもしれない。全てが全て自分の心の信念に正直に生きているわけではなくて、やはりどこかで理論的に、表面的に行動している部分があるのではないか。ただ、表面的なものでは人格形成はできない。人格は個人の心理面の特性であるからだ。

さて、あまり基本的には興味がない芸能ゴシップなのだが、最近メディアで騒がれていることがある。どうしても目にしてしまうわけだが、なんでこの人に世間は高いレベルの人格も求めるのであろうか。唯一無二の才能があって、そのことで求められるだけではいけないのだろうか。無論、才能と人格との両方とも高いレベルで備わっている人もいるだろう。しかし、そんなパーフェクトな人間ばかりではないと思う。

なんか違和感を感じる。そこまで人間としての全てを見なくてもいいのではないだろうか。


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