認められること

みなさん、

こんばんは。暑中お見舞い申し上げます。生い茂る眩しいばかりの緑は、夏らしく感じさせます。

最近、考えていることは「認められる」という人間の欲求についてです。他者から認められることで、私たちは自分の評価をしてしまうのではないでしょうか。そんなこと関係ないという人もいるでしょう。しかし、やはり自分のやっていること、やりたいこと、考え、思いなどなど、他者から認めてもらうことで、自分に自信が持てたり、特にやろうとしていることに対して頑張ろうと思って、力をより一層発揮できるようになるのではないかと考えています。

しかし、我々大人はだんだんと年齢を重ねていくにつれて他者や他者がやることを認めるということのハードルが高くなっていくような気がします。飛び抜けたレベルではない限り、普通と思うようになってしまいます。自分の経験から構築された価値観という軸があり、それをもとに他者がやっていることが価値に値するか、値しないかを決めることが多いのではないでしょうか。価値があるもの対してはお金という、わかりやすい形で認めることがでてきます。仕事においても、これくらい仕事ができるのであれば、これぐらいの年収をもらえるだとうというような感覚は持っている人は多いのではないでしょうか。

認められるために、何かをしているのではないと思っている人もいるかもしれません。それはそれで否定はしませんし、そのような生き方ができているのであれば、羨ましいです。私は何かをするにあたって、社会的にどれかで共感を生んでいるかを意識しています。それは、社会的に求められる存在でありたいからです。それはやはり誰かが私がやっていることを見たり、聞いたりして、認めてくれない限りは、仕事としてオファーはきません。だから、やっていることは見えるようにするために配信の方法を工夫したり、メディアの力を借りたりするのだと思います。

本当にいいことをやっていれば、いつかは気づいてくれる時代では、もはやありません。いかに情報を届けられるかが大切なことだと思います。この配信、まさにウェブサイトだったり、ブログを書くことだったり、SNSというのは、戦略的に地道にコツコツとやることで、広がっていきます。動画や写真などで与えるイメージというものは大きいです。

私もやっと最近になって、情報配信ということをもっと深く考えるようになりました。なので、自分のウェブサイトも立ち上げたし、それに伴って、作成ができるために必要なスキルを勉強しています。このままでいいと思っていたら何事も進化しないでしょう。新しいことを学ぶこと、特にPC関係は追いついていかないと進化の度合いが半端なく早いです。というわけで、10月のお芝居では役者以外の部分で新たな部分にチャレンジすることになっています。ますます時間はなくなる一方ですが、その瞬間にしかできないことを、一生懸命にやり遂げたいと思います。そして、自分のやったことをお客様に願わくば喜んでもらいたい、つまり、認めてもらいたいと思っています。

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